青春ブラザーズ

出典の記憶は定かではないないのだが、後に生恵幸子と夫婦コンビを組むぼやき漫才の人生幸朗は、それ以前のコンビ(所属ユニット)が青春ブラザーズという名前だったらしい。
レトロモダンでカッケー、と個人的に気に入っていたのだが、誕生の経緯に関する記述がある本を読んだ。

米朝置土産 一芸一談 / 桂米團治(監修) がそれで、桂米朝夢路いとし・喜味こいしの対談録が掲載されている。
そこには、いとし・こいしの他、志摩八郎・辰巳柳子、山崎正三・都家文路、(後の)秋田Aスケ・Bスケ、永田キン坊、などの漫才5組程度の巡業を組み、合間に芝居、最後に音楽ショーを入れた構成にしていた。そして、音楽ショーのパートも適当な名前でやっていたのだが、告知の都合上名前を付けようということになり、そこで青春ブラザーズになったという話が書いてある。
たまにゲストで正三・文路の師匠でぼやき漫才の始祖でもある都家文雄が参加したとは書いてあるが、弟子である人生幸朗(都家文蔵)の名前は出てこない。

webをソースにする限りは、この本にあるような青春ブラザーズの誕生に関する記述と、青春ブラザーズは人生幸朗が結成、という記述がある。因みに両論併記のドキュメントは見かけない。これ以上深追いできる材料も手元に無い。<前者に関するweb>
志摩八郎・辰巳柳子 - Wikipedia
秋田Aスケ・Bスケ - Wikipedia

<後者に関するweb>
どうでもイ〜ラストアーカイブスその158「人生幸朗・生恵幸子…責任者出て来〜い!激動のぼやき100年史」 - 自惚れや、たまのらくがき、五七五
人生幸朗没後に出された生恵幸子の著作をソースにしたこのサイトでは、1946年に秋田Bスケらと楽団青春ブラザーズを結成して地方巡業で食いつなぐ、という主旨の記述がある。
人生幸朗とは - はてなキーワード

70年近く昔の話だからどちらが正しい、間違っているかは別にどうでもいい。当事者達それぞれの観点からの色々な話が残っていて、それを今でも読むことができるのが楽しい。